流聲 ryusay ☆彡

五臓五腑ノリコのブログ。SINCE September 25th,2004

カタカナだってニュアンスや趣はある?

先日、日経新聞で読んで度肝を抜かれました。
英語表記・カタカナ表記が多用される昨今、「日本語で言い換えようよ」というのが叫ばれているかと思いきや、一方で「カタカナだっていいじゃん!」ということを掲げている方のお話です。
書かれていらっしゃった方は語学研究などをなさってる方だったかと思います*1
例を挙げるとすれば、セーフティーは日本語で「安全」です。セキュリティーも日本語で表記するとしたら「安全」。じゃあ、セーフティーとセキュリティーはどこが違うのでしょうか?
つまり、なんでもかんでも日本語で変換してしまったら、外国語独特のニュアンスが消えてしまう、場合によっては意味を変えかねない「誤換」が起こる、というのです。
だからといってカタカナ表記だけに固執するわけではなく、日本語表記するときはその外国語独特のニュアンスを大切にした変換の仕方を考えていきましょうよ、と。
さらに突っ込むなら「日本語の崩壊」と「カタカナ語の多用」はまた根本的に違う問題だ、とのこと。



ところで、英語の「miss(動詞)」のうまーい日本語訳はないものでしょうか?「〜が居なくて寂しい」だと、なぁんとなく興ざめなんですよね(^_^;出来れば「しそこなう」という意味もカバー出来るような言い回し。日本語にはないんでしょうか…。
方言にも似たような事ありますよね。「共通語に訳すと何かが違う」というようなこと…。
それなんですよ。

*1:そこはウロ覚え