流聲 ryusay ☆彡

五臓五腑ノリコのブログ。SINCE September 25th,2004

本日の神ツイート

「小説」は明治時代まで蔑称だった。
小説があるなら「大説」があるはずだが、それは江戸期まで知識人の基本教養だった漢詩漢文のことだそう。
つまりまともな教養人は大説を読み、非教養人は口語体で読みやすい小説を読むということで、後の漫画と同じく、いい大人が読む物ではないと思われていた。

柳田國男は小説に熱中する書生を最近の若者は小説ばかり読んで堕落していると嘆いていたし、
宮武外骨は自分の雑誌にわざと会話ばかりの小説を載せて「最近流行の小説はこんな会話ばかりのスカスカな文章でよく金がとれるものだ」と思い切り馬鹿にしていた。
時代の価値観は時代とともに変わる。


なぜ小説があるのに大説はないの?という疑問が解けました(・∀・)なるほろ
今で言うと、小説ってのは漫画やラノベ扱いだったのでしょうね( ̄▽ ̄;)