流聲 ryusay ☆彡

五臓五腑ノリコのブログ。SINCE September 25th,2004

好き嫌いをする貴方が嫌い

食べ物の好き嫌いに関して、自分は必要以上に敏感だ。というか、好き嫌いの話を目の前でされるとあからさまに機嫌が悪くなる。
食べ物の好き嫌いをする、ということほど愚かしいことはないと自分は勝手に思っている。
そりゃあ人間だから、食べ物に限らず好き嫌いというものはあっても仕方ないかもしれない。しかし、「嫌いな食べ物」があることがまるで当たり前かのように扱い、尚かつその食べ物を目の敵のように語り出す人。それがどうしても許せないのだ。
食べ物、というのは嗜好的な部分が多い。しかし、食べ物によって人間の基礎が成り立っているのもまた事実。「何でも好き嫌いなくバランス良く食べる」、それが健康の基本であることは言うまでもないのだ。だからたとえ嫌いでも、健康に生きていくためには食べる必要がある。
自分は小六の時から約12年間、病気のために食事制限を強いられてきた。何をどのくらい食べてよいか、何を食べたら体に悪いか、常に判断する必要があった。バナナは一日に半分まで、リンゴは一日に四分の一まで皮をむいて、野菜は刻んだり茹でたり…数え上げればキリがない。そして、そんな厳しい食事制限の中で、バランス良く栄養を摂る必要があった。食事を作る母にも相当苦労をさせたと思う。
5年程前には、栄養失調になった。持病が劇化して、激しい腹痛と血便に襲われた。食欲がみるみるなくなり、目の前に食べ物があっても胃に入らなくなった。体は一ヶ月でガリガリになった。無理にでも食べても、腹痛が来ると吐き気で苦しんだ。これほど悔しかったことはない。
その後も、手術や治療のため何度か絶食をした。大きな点滴だけがゴハンだった。昨年も10日間絶食を経験した。最初の食事はなかなか飲み込めなかった。喉が飲み込むということを忘れていた。
病気が根治してからは、「食べられる」という当たり前のことが出来ることに、幸せを痛感した。今の自分には、嫌いな食べ物は無い。(よっぽどのゲテモノ料理は知らないけど)
だから、自分は誰よりも食べ物を美味しそうに食べる自信がある。周りから見れば、「何をそんなに嬉しそうにしてるの、大げさね」と言われそうだけれど。
今日も、同僚に目の前で嫌いな食べ物の話をいくつもいくつもされた。彼女は大の偏食家だった。あたかも気持ち悪いもののごとく語る彼女を見て思った。
『何でも食べられるのに、どうして食べないの?』
今でも、難病を突きつけられた小学六年生の自分が頭の中にいる。