流聲 ryusay ☆彡

五臓五腑ノリコのブログ。SINCE September 25th,2004

推しを束縛するということ

※以下、個人特定を避けるため、僅かにフェイクを入れています。ご了承ください。



以前、趣味で知り合った人と疎遠になったことがあった。
その人とは同じミュージシャンの話題で仲良くなり、SNSやライブ会場でしばしば交流することになった。環境や年齢は違えど、同じ音楽を愛する仲間の一人だと思っていた。
しかし、その人と知り合って数年後、彼女のアカウントに、好きなミュージシャンに対しての、驚くような発言を見てしまったのだ。
「推しが最近自分の好きなジャンルの曲をリリースしてくれない」そのことに対して恨みつらみとも言える文章が並んでいた。最近はもう推しの音楽は聞いていない、と書きつつも、自分の思い通りの仕事をしてくれない推しへの執着が滲み出ていた。そしてとどめの言葉。
「今度のライブには行ってやるけどね!」
完全に上から目線だった。この人、何が楽しくてライブに行こうとしているのか。
もうこの人にはついて行けない、と悟った。彼女のアカウントから離れ、連絡も取り合うこともなく、静かにフェードアウトしていった。それについて彼女から何かリアクションが来ることもなかった。
以前、彼女が言っていたことを思い出した。私と付き合うとめんどくさいよ、毎日長電話やメールのやり取りしないといけないから、と。この人、彼氏だけでなく、推しにまで束縛心を顕にしてしまったのか。


なぜこのことを思い出したのかというと、つい最近も別のジャンルで同じようなことを吐き出している人を見てしまったからだ。
推しが自分の望むような仕事をしてくれない、推しの出す曲が理解できない。そんな文章。とても既視感があった。
推しも一人の人間だから、一つの道からいろんなところへと枝分かれするかもしれない。その枝が大きくなるかもしれない、もしかしたら、以前とは全く違う木になるかもしれない。そうやって推しが生き生きと歩む道について行けなくなったのなら、それはもうお別れの時だと思う。ただの一ファンにはどうにもならない。推しの心や未来を縛ることは出来ない。あなたには、もう要らなくなったのかもしれない。