流聲 ryusay ☆彡

五臓五腑ノリコのブログ。SINCE September 25th,2004

なぜ「疎い」のか?(音楽の話とか西川貴教の話とか、まとまりのない話)

自分自身の感覚(感想)のことなので、ノンカテゴリで。


どうやら一部世間では、出もしていないアルバムや、一度だけ流れた新曲について意見が分かれているらしい。
しかし、自分は全くどちらにも属しない。ぼーっとその曲が聴ける日を、手に入る日を待っているだけである。ファンと呼ぶには、「疎い」感覚かもしれない。もちろん、期待というものはしているけれども、それを評価とはしない。


というのも、有線やラジオや歌番組で不意に流れた音楽に関して、ゲストで本人でも出ていなければ、どういうコンセプトで作られたのか?とか、今までこんな曲を作ってたけど今回はこうしましたとか、作詞は誰々で、作曲は誰々で、誰プロデュースなんですよ、なんてことは全く分からない。
聴いたその時の感想、感覚、それが全てなのである。せいぜい、一度聴いた感じで「あの人の歌かな?いい歌だねぇ」「なんか面白くない歌だねぇ」程度。
さらには、たまたま聴いた曲が良くて、歌手名とタイトル、タイアップ「だけ」を頼りにCDを買ったり、着うたをDLするだけである。ファンではない、「外」の音楽好きから見ると、そんな感じではないだろうか。
さらに言うと、曲は聞き手聞き手によって、意味が変わる。「別れの歌」でも、家族との別れだったり、友達との別れだったり、恋人との別れになったり、様々である。解釈が、歌い手や作り手の思いも寄らぬ方向に行くこともある。
(映画の話になるが、「となりのトトロ」のサツキとメイは本当は物語の中に存在しないんだ!と言う人がいるくらいなので。)


あとは……「変わることは変わるけど、変わってない」と自分自身が悟っているのかもしれない。
具体的例を挙げると、T.M.Revolutionその人のことである。彼はこれまで様々に変わっていった。ファンでない方もご存じであろう。露出度多め、派手な衣装、軽快なトークを披露するアーティスト*1として現れた彼は、突然TMRを封印し、TMR-eとなる。曲調もコンセプトもTMR時代とは変わる*2。そして一年後にTMR復活。ドラマ、舞台、ラジオなど、歌以外の仕事をしながらも、今度はバンド・abingdon boys schoolを結成。
で、いざ振り返ると、「変わったけど、変わってないよね」と思う長年のファンの自分がいる。
10年以上経てば歳も取るし、いろいろなコンセプトの歌も歌ってきた。芸能界で、音楽界で経験値を積んできた。でも根底にあるのは西川貴教その人である。だから変わってない。10年間の経験で、彼を通して私はそう思うようになった。
人として、根底から信頼しているのかもしれない*3。今になってはそう思う。なので、毎回新曲が出ても、細かい背景はあまり気にせず聞く。そして楽しむ。
ただし、そこには彼が信頼、尊敬たり得る人物だから、というのも勿論付随する。
さらに言うと、私が楽観的なだけなのか(苦笑)。



余計なお節介を書くと、嫌いならば、苦痛ならばファンやめた方がいいですよ。ええほんとに。だって嗜好品だもん、音楽って。
中にはファンを名乗りながらも気持ち悪い評価*4をつらつらと挙げる人もいるから。ああいう風になるのはやめてちょうだい。一番理解できないし、みっともないから。

*1:あくまでファン以外から見た印象ね;;

*2:プロデューサーである浅倉大介が一緒に出てくる、という変化もあった

*3:もちろん、宗教のように妄信的になるのは間違いだけど

*4:主観だけで曲を根底から否定するような